おととしから運航を休止していた「たこフェリー」について、地元自治体と運営会社は再開を断念しました。
高速道路の料金値下げに翻弄されながら再開を待ち続けた人たちがいました。
淡路島にあるフェリー乗り場。
中野達也さん(46)は、毎日ここから海に出ていました。
【中野さん】「1年半も経ったら錆び錆びやね。さびしいような感じやね」
兵庫県明石市と淡路島を結んでいた「たこフェリー」。
地元で生まれ育った中野さんは、高校を卒業してから27年間、フェリーの乗組員として働いてきました。
【中野さん】「この航路は淡路の北と本州と短い距離で時間も短くて、一番お客さんが集まってくる便利な航路だった」
1998年に明石海峡大橋が開通した後も、橋の下を船が走るロケーションが人気を呼び、生活の足や観光コースとして愛されてきました。
しかし、その行く手を遮ったのは、国が突然打ち出した政策でした。
3年前に始まった、「高速道路1000円の休日割引」。
明石海峡大橋の料金が、たこフェリーの半額ほどになったのです。
たこフェリーの利用客は激減しました。
そして、おととし――。
【中野さん・おととし】「皆さん、今までありがとうございました」
たこフェリーは運航休止に追い込まれ、乗組員は全員解雇されました。
地元自治体と船会社が協力して再開を目指すことになったものの、国からの支援はありませんでした。
【中野さん・去年】「私にとって1000円割引制度はなんだったかというと、ただ一つです。自分と仲間を失業に追いやった政策、それだけです」
島の高台にある中野さんの家。
毎日たこフェリーが見えるようにと、この場所に建てました。
中野さんが失業してから1年半、妻が家計を支えてきました。
あと9年残っている家のローンが重くのしかかります。
【中野さん】「家事全般、掃除から洗濯、食事、難しいのはできないけど、簡単なのは慣れました」
求人は、数か月間も航海する貨物船の仕事がほとんどです。
妻や子どもと離れて暮らすべきか、船の仕事
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