京都府亀岡市で無免許の少年が運転する車が集団登校の列に突っ込み10人が死傷した事件から、23日で半年となります。
一時、意識不明となった男の子の父親が、今の思いを手記にしました。
雨が降る事件の現場。
23日は朝から遺族らが訪れ、家族の倒れていた場所に花を手向けました。
【亡くなった小谷真緒ちゃんの母・絵里さん】
「ここで倒れて、苦しんでたんやろうなと思ったら…、1ヵ月も2ヵ月も半年も1年も、私にとっては何の節目でも区切りでもない」
【亡くなった松村幸姫さんの父・中江美則さん】
「月日が流れるたびに悔しい。憎しみ何もかも変わらないですし、悪化するばっかりで。裁判は刻々と終わってます、進んでます。けど僕の中では(半年は)ゼロからのスタートのような気もするし」
西田昌弘さんの長男、琉輝くんは、あの事件で一時、意識不明になりました。
西田さんは半年前のことを鮮明に覚えています。
【琉輝くんの父・昌弘さんの手記より】
「当日朝、琉輝は風邪をひいた。母親が『しんどかったら学校まで送っていくで』と言ったら『いやや、みんなと一緒に学校に行く』と言いました」
小学校に入学したばかりだった琉輝くんは、学校へ向かう途中、暴走した車にはねられました。
一緒に登校していた児童と保護者3人が死亡、琉輝くんら7人が重軽傷を負いました。
【琉輝くんの父・昌弘さんの手記より】
「集中治療室での我が子の姿は、口や鼻、手足に管や配線がはりめぐらされ、頭と顔に包帯。手を握っても反応がなかった」
車の衝撃で大きく裂けてしまったランドセル。
琉輝くんの意識が戻ったのは事件から5日後でした。
学校に通えるまでに回復したものの、ある日テレビを見ていた琉輝くんはこんなことを話しました。
『縦に二重、三重に見える』
琉輝くんは目の異常を今でも時折訴えます。
頭を強く打ったため事件の記憶はありませんが、ストレスで突然泣き出すこともありました。
西田さんは事件後初めて、今の気持ちを手記にしました。
【琉輝くんの父・昌弘さんの手
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