太平洋戦争の末期に行われた「大阪大空襲」で被害に合った人たちが、国に対し謝罪と補償を求めていた裁判で、大阪地裁は原告の請求を棄却しました。
1945年、大阪の市街地は爆弾や焼夷弾で焼き尽くされ、死者・行方不明者は1万5000人にのぼりました。
原告で大阪在住の安野輝子さん(72)は、6歳の時、鹿児島県で空襲に遭い、左足を失いました。
【判決前の安野さん(正午過ぎ)】「ここまで長かったなと思って」
戦後、軍人や軍属には補償が行われてきましたが、民間人の空襲被害者に対する補償はゼロです。
また国は、空襲時に逃げることを禁止し、火を消す義務を課す「防空法」を施行し、違反者に罰則まで設けました。
安野さんたち原告は「戦時中の政策によって被害拡大を招いたにも関わらず、国は空襲被害者への救済措置を取ってこなかった」として謝罪や賠償を求めていました。
7日の判決で大阪地裁の黒野功久裁判長は「補償を受けられないことが、法の下の平等に反するとは言えない」とし、「救済する法案を作るかどうかは、国会の裁量に委ねられている」と判断。
「防空法による影響は原告だけでなく、国民一般に及んでいるから、原告らを救済すべき立法義務は認められない」として請求をすべて退けました。
【安野輝子さん】「判決には落胆しました。66年間の苦しみを分かって欲しかった。生きている間に手を差し伸べてほしいと思っていました」
原告側は「判決は受け入れられない」として控訴する方針です。
空襲被害者は、これまで何度も救済を国に働きかけてきましたが、法案は十数回も廃案になりました。
最後の手段となった司法にもその声は届きませんでした。
現在、国会議員が空襲被害者への補償を定めた法案作りを進めています。
残された時間が少なくなる中、一刻も早い救済が求められています。
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